ロゴ:マルコマ株式会社

マルコマの歴史 MARUKOMA HISTORY

創業期

復員、机ひとつ、床材(フローリング・三井、三菱、ベニヤ板・北海道、東北)
紡績会社の工場、学校、体育館の床材などの需要

1950年 丸駒建材店
戦前、戦後を乗り越えて、
机ひとつからの再スタート。
創業者の田伏駒太郎は、大正10年(1922年)の和歌山生まれ。わずか13歳で材木業界に入社。本社は東京だったが戦前は旧・満州へ。戦時中は徴兵でビルマへ。戦後、無事に帰還し復職するも、戦時中に患ったマラリヤが再発し退職。波乱万丈の青春時代を過ごしながらも、退院後の1950年に運送店の一角を借りて、丸駒建材店を創業。
1953年~個人商店を法人化
丸駒建材に法人化、昭和30年に5万円のオースチン、関西でも有力な床材問屋
1957年に新建材に取り組み、1958年に事務所兼営業所を北堀江に移転、当時としては珍しく自社をショールームに見立て見本市を開催。
模様のついた壁材、天井材で取扱い商品増加
仲間
若いから、なんだ!支えは、この道一筋の意地と仲間。
もう一人の創業者である石本茂も含め、経営陣は弱冠20代。世間から心配の声をささやかれるも意に介さなかった。それは、ずっと建材業界で経験を積んだ田伏の商才と、戦前から培った負けない商魂、それを支えた仲間のがむしゃらさにあった。気がつけば仲間も増え、個人商店から法人化、事務所も大阪市西区北堀江に新設できるまでに。

新会社

丸駒工事、商品販売だけでは限界。
施工を伴う営業。卸しと工事の両輪。

ケンザイビル
売上や知名度は上がっていくのに、感じていた限界。
1960年代には丸駒と言えば関西では少しは知られた存在に。これは、昭和30年代から様々な新建材をいち早く販売し、20年以上の実績を重ねてきた成果。ただ、時代の流れと共に、単に商品を卸すだけでは利益を出せなくなり始めていた。そこで1966年には丸駒工事株式会社を設立。施工までを一貫して請け負える商社として新たなステージに。
1968年~新社屋
地下1階、地上7階。ケンザイビル。
8月に和歌山営業所。西区京町堀に第二ケンザイビル。
社員
念願の自社ビル。「ケンザイビル」の名に込めた思い。
利益は会社のために、そして社員のために。1968年に完成した新社屋には、これからの未来を見据えていた、創業者の思いが込められた。地下1階、地上7階のビルは、当時は周囲を圧倒する存在感。交通の便、流通拠点となる倉庫、そして社員の福利厚生施設としても。建材に関わる全ての人が、健在であるように。そんな意味もあったのだろう。

ふたつの業務改革

業界に先駆けてコンピュータシステムを導入。
それと同時に美原物流センター(敷地2000坪)を新設。

仕事の様子
仕事を増やしていくために、まずは無駄を減らした。
売上が増えると業務は増える。その分、事務処理も増えていく。業界では、当たり前の話。でも、それでは会社の成長に人手が追い付かなくなっていた。仕入れ、販売管理、請求書の発行など。そこで他社に先駆け、1973年には最先端のコンピュータシステムを導入。同時に分かれていた配送拠点も統一し、2000坪規模の物流センターを新設。
1974年~マルコマに屋号変更&売上高が100倍
同業他社が多数倒産。広範囲な業務に合わせ屋号も変更。
3月期決算で売上高50億円。1954年の創立時の決算のちょうど100倍。社員は70名。
新聞記事
売上100倍。創業当初の社名では、表現しきれない成長。
1974年、丸駒建材は現社名であるマルコマに変更。これはすでに建材問屋の領域を超え、より幅広い業務を手掛けるようになり、未来を考えた決断だった。ちなみに当時は日本経済全体が停滞の時代。それでも1974年3月期の売上高は50億円。実に、昭和29年に創立した年の売上5000万円の、ちょうど100倍。色々な意味で節目となった。

商品増加に伴う「材工」の時代へ

専門商社としての実績と各種メーカーとの取引。
商材を卸すだけでなく、工事まで一貫して請け負うニーズを先取り。

ダイニング
昭和から平成へ。時代より先に変わったのは、ニーズ。
求められる範囲が広がっていったのが1980年代後半。それまでに取り扱っていた、天井材、床材、壁装材に加えて、断熱材などの新商材、キッチンまわりや照明器具まで。関西地区における各メーカーの総代理店となることで、その工事までを請け負うことになる。いつしか、住宅の他に、公共建築物や大型商業施設の案件も依頼される企業に。
1995年~田伏&石本新体制とプレカット工場
阪神大震災の年に創業45周年。
2001年には2000坪の土地にプレカット工場。金物工法に先行投資。
社員
新社長&新専務、そして新工場。新生マルコマの誕生。
創業45周年を迎えた1995年。マルコマは未来に向け大きな節目を迎える。新社長に田伏敏浩、新専務に石本勝範(現社長)という、創業メンバーの息子同士が経営陣を引き継いだ。その数年後、さらに新たな一歩を踏み出す。木構造材を自社で加工できるプレカット工場の新設。早すぎた先行投資だったが、この経営判断が今のマルコマの事業基盤を支えている。
黄綬褒章
黄綬褒章。受け継がれていく意思は、何よりかたく。
プレカット事業によって明るい転機を迎えたマルコマだったが、悲しい転機も訪れた。社長であった田伏の、あまりにも早すぎる他界。予期せぬ会社の危機に、新たな舵取りを任されたのが現社長の石本である。会社の経営だけでなく、各種業界団体の理事など。たった一人残された彼の双肩にかかった責任は、想像以上に重かった。2017年4月某日。その懸命な仕事ぶりは、50代の若さにして黄綬褒章授与というカタチで、国からも認められている。
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